伝通院

後楽園駅から富坂を上がること約10分…無量山伝通院が出てきます😊

伝通院
伝通院

こちらは、徳川家と非常にゆかりの深い名刹…境内の墓地には、徳川家康の生母「於大の方」や江戸時代初期行かないと悲劇のヒロイン「千姫」の墓所があります🙂
於大の方は、三河国刈谷城主・水野忠政の娘、その後、岡崎城主・松平広忠と結婚して、後の将軍となる竹千代(家康)さんを授かります。
将軍の生母とだけあって、墓地の真ん中に、とても大きな宝篋印塔です🙏

於大の方の墓所からさらに奥へ行くと、千姫を始め、徳川家ゆかりの墓所に…
横一線に並んでいる墓石が…
見ると、その多くが11代将軍・家斉さんの側室でした。
さすがは50人以上もの子を授かった家斉さんですね😅

あと、徳川家墓域の一角には三代将軍・家光さんの正室「鷹司孝子」さんのお墓も…
出身は五摂家の鷹司家という超名門、家光さんの将軍就任に合わせて、結婚し御台所に✨
将軍家と鷹司家の婚姻ということで、多くの人たちの祝福を受けるかと思いきや…

ところが、家光さんとの相性は最悪😣
家光さんから離縁させられてしまうと、大奥からも追い出され、踏んだり蹴ったり💦
最終的には、江戸城吹上の邸宅で寂しく過ごすことに😭
家光さんも男色の傾向があったとか、色々と説がありますが、大物同士の夫婦生活は難しいものですね😣

で、幕末になると、伝通院では歴史的な出来事が…
浪士組(後の新撰組)の結成です✨
塔頭「処静院」で結成の会合が行われて、14代将軍・家茂さんの警護を名目に上洛しました😊
そもそも、この浪士組は清河八郎さんの発案によるものとされています。
尊皇攘夷の強い考えを持っていた八郎さんは、方向性の違いから近藤勇さん、土方歳三さんたちとは袂を分かつことになりますが、死後、伝通院に葬られました。

小石川谷中本郷絵図(一部抜粋)〈国立国会図書館蔵〉

伝通院へは後楽園駅から歩いて、約10分くらい…他にも「こんにゃくえんま」こと源覚寺とか、かつて伝通院の塔頭であった善光寺(現在は信濃善光寺の分院)等、けっこう寺院も多いのです🙂
それから、後楽園周辺は坂も多く、それぞれの由来を辿っていくのも面白いですね😊
今まだちょっと暑いですが、もう少し涼しくなったら、この辺を散策してみてくださいね😃

アクセス

伝通院
東京メトロ「後楽園駅」
都営地下鉄「春日駅」より徒歩約10分