日光街道 道中記② 浅草~千住宿

2023年9月12日(火)浅草

最初の宿場町・千住宿へ

山谷堀公園 猪牙船
山谷堀公園 猪牙船

多くの人で賑わう雷門を後に国道6号線を北へ。約600m歩き「言問橋西」の五差路を県道464号線に入ります。すると街道は「山谷堀公園」と交差します。かつては山谷堀には「吉野橋」が架かっていました。山谷堀は隅田川から吉原へ通じており、多くの遊客たちがこのあたりで船を降りて吉原へ向かったと言います。かつての川筋は公園になっておりますが、遊客たちが乗った猪牙船のモニュメントが置いてあります。

東禅寺 江戸六地蔵

吉野橋から歩くこと10分、左手に東禅寺が出てきます。境内に鎮座する「江戸六地蔵」は江戸の出入り口付近(品川、新宿、巣鴨、深川等)に建立され、旅人たちは道中無事の祈願をしていました。

かつては刑場があった、南千住

小塚原回向院
小塚原回向院

「泪橋交差点」を過ぎると南千住駅が出てきます。泪橋とはこの先にある「小塚原刑場」に送られた罪人たちが渡った橋とされています。「あしたのジョー」ゆかりの場所でもあります。
南千住駅の目の前にある小塚原回向院に刑場がありました。墓地には処刑された罪人たちの墓があります。

首切り地蔵
首切り地蔵

「首切り地蔵」は罪人たちを供養するために建立され、今も尚、静かに鎮座しています。

素盞雄神社
素盞雄神社

小塚原回向院から500mくらい進むと素盞雄すさのお神社が出てきます。古くから疫病除けとして知られており、安政五年(1858)のコレラ流行の際は疫除守を求めて多くの人々が集まりました。

日光街道屈指の宿場町・千住宿

千住大橋

このあと日光街道は隅田川を渡ります。千住大橋は隅田川最古の橋で文禄三年(1594)に架けられました。

おくの細道 旅立ちの地

対岸には「おくのほそ道 旅立ちの地」碑があります。松尾芭蕉は深川芭蕉庵を引き払い船で千住まで行ったあと、奥州への旅へと出かけました。

江戸後期の千住宿

橋を渡った先に旧道が分岐しています。このあたりから千住宿の中心部で、現在も賑わっています。千住宿は江戸四宿(千住、品川、板橋、内藤新宿)の一つで、往時は飯盛旅籠が軒を連ね大変賑わいました。

千住宿

宿内人口:9956人
宿内家数:2370軒
本陣:1軒
脇本陣:1軒
旅籠:55軒

天保十四年(1843)日光道中宿村大概帳より

宿場の規模:東西十四五町、南北三十五町(新編武蔵風土記稿より)


一里塚跡碑

宿内には「一里塚」がありました。一里塚とは街道の一里(約4km)ごとに設置され街道を行き来する人たちの目安となっていました。塚上には目印となる木が植えられ榎が多く、千住の一里塚も榎でした。江戸日本橋から二里目の一里塚となります。

今日歩いたルート

浅草から南千住
浅草から南千住
南千住から北千住
南千住から北千住

総距離約5km 歩行時間約2時間