日光街道 道中記③ 千住宿~草加宿
2023年9月14日 北千住
交通の要衝・千住宿を出発

北千住駅から街道に戻るとすぐに本陣碑があります。
本陣とは参勤交代の大名が宿泊、休憩で使用する施設です。広い敷地を持ち、建物の奥には上段の間も設えられていました。言わば、ビップ専用の高級宿といったところでしょうか?しかし、原則は非営利であったため経営的には非常に厳しかったと言います。明治維新後、街道往来が衰退すると本陣も消滅し建物のの多くが姿を消しました。

かつての千住宿は北千住駅を中心に開発されていますが、「横山家住宅」のような風情ある古民家も残っています。


千住宿内には数多くの街道が交わっており、非常に往来の多い宿場町でした。
荒川を越えて草加宿へ

荒川を渡り、草加を目指します。

石不動尊は耳の霊験にあらたかであると伝えられています。


佐竹稲荷神社はイボ取りに霊験あらたかなところから「いぼ稲荷」と呼ばれました。このあたりは体のご利益が多い印象です。それだけ、当時の人々も健康には気を遣っていたことでしょう。
尚、ここは秋田藩主佐竹家の抱屋敷跡で参勤交代の際には休息所として使われました。

二代・秀忠や三代・家光が鷹狩りや日光社参の際に、この近くにある国土安穏寺に立ち寄りました。御成橋はその際に御成道が架けられたことに由来します。

鷲神社はこの界隈の島根村の鎮守です。

街道に戻り400m程進むと「成田道道標」が出てきます。成田山新勝寺への参詣の道でした。

東武スカイツリーライン「谷塚駅」付近には富士浅間神社があります。

境内には富士塚がとてもよく残っています。富士信仰が盛んであったことがわかります。

火あぶり地蔵尊は、奉公中の娘に母危篤の知らせが届き、主に暇を願い出たのですが許されませんでした。そこで主の家が火事になれば家に帰れると思い込み放火をしてしまいます。その結果、娘は捕まってしまい「火あぶりの刑」に処されてしまいました。それを村人が哀れに思い供養のために地蔵を祀ったと言われています。
第二の宿場町・草加宿へ

いよいよ草加宿に入ります。

草加神社は街道から約400m離れた場所にあります。南草加村の鎮守でした。
草加神社社標から少し進むと草加駅です。今日はここで終わります。
今日歩いたルート



総距離約10km 歩行時間約3時間